グレッグ・イーガン 『しあわせの理由』山岸真訳 ISBN:415011451X 【アマゾン】, 早川文庫SF

巻末の『電脳建築家』坂村先生の解説、某所では「文系」な人達の議論を呼んでるようですね。自分としては、イーガンの作品は技術的ディテールが面白すぎてそれ以外を見過ごしてしまいがちなんで、もっと深読みすべしという指摘には共感しました。
ところで今週金曜に「TRONプロジェクトの20年」 という無料講演があるみたいです。
☆ 適切な愛
うぉ!いきなり強烈な話だ。日常生活では意識しないけど、 ER とか見ると人間は肉の塊だと思い知らされる。さらに言えば精神活動もかなり化学物質の影響を受ける。脳内ドラッグによって生物としての適切な行動を取らされる。これが逆に働いてしまう特殊な状況で、夫への愛情を貫くため脳内ドラッグに打ち勝とうとする主人公。しかしそもそもの愛情が、脳内ドラッグと無縁なのか。
技術的な面だと、脳の移植ってのが原理的には不可能だという点がきちんと説明されてて面白い。Mac 用プログラムをウィンドウズで走らせるようなもの。エミュレータとかあれば別だけど。
☆ 闇の中へ
これもまたすごいな。「事象の地平線」が町中へ出現したら?という話。ブラックホールの周囲にあるような本物の事象の地平線へ飛び込む話は "Planck Dive"で読めるけど、光円錐が空間方向という特殊で面白い条件だけ抜きだしてそれを町中に出現させてる(そうじゃないと町がめちゃくちゃになる)。あとはベイズ統計っぽい思弁も。
ワームホールの出口が入口の内側の微小時間後にある、というのは1+1次元の絵を書いてみようとしたけど無理だった。
☆ 移相夢
塵理論と同様、プログラムで意識が再現可能だと仮定すると色々と奇妙奇天烈な結論が出て来る。意識はどこに宿るのか。計算の過程か、それとも表現される数値データか。データに宿るとした場合、それをメモリにロードする途中の不完全なデータには不完全な意識が宿るのか?塵理論だと世界中にばらまいてあっても一つの意識だ、という話だったけど、この作品では違う設定、あるいは塵理論で黙殺されている事実が描かれる。
昔の日航機事故で、亡くなった人に墜落前に味わった死の恐怖に対する賠償金が支払われたのを思い出した。
最後はブラック。この夢はスキャン途中の移相夢なのか、脳が死ぬ時に腐敗によって生じる不完全な意識なのか。しかしどちらの場合でも夢を見ている意識はじきに死ぬことに違いはない。その後に別の自分が生きようが死のうが。そう考えると、昨夜寝た自分は、実は死んでしまって、今日の自分はその記憶を引き継いでるだけかもしれない。そして今夜も死ぬかもしれない。明日の自分は記憶を引き継いだ別人かもしれない。