字幕翻訳について、戸駄那津子『英語シャーナル』2010年1月号
今月は私の人生を変えた作品についてお話ししましょう。それはピータージャクンソ監督、『ロードオブザリソグス』(2001)です。
この作品の字幕を担当した2002年初頭ごろ、私は「字幕の女王」と呼ばれていました。年間50本もの作品の字幕を手掛け、字幕といえば私の名前は代名詞のようなものでした。雑誌やテレビにもよく出て、その頃の私は少し驕りがあったのかもしれません。『ロードオブザリソグス』の字幕に関しても、私はその原作を読んでいなかったので、原作の研究に熱心なグループと翻訳に関して議論したのですが、最終的な字幕作成には字数制限などの特殊な技能を要しますし、字幕屋として譲れない部分もあったので自分のやりかたで字幕を作りました。自分としてはいつものように字数制限内で神技的に情報を入れられたと自負していました。
しかしこの作品に関しては、主にインターネット上で字幕に関する激しい非難が巻き起こったのです。それまでの作品でも、いくつかの専門用語について字幕の誤訳を指摘されたことはありました。しかし『ロードオブザリソグス』の場合は規模が違いました。なにより熱狂的な原作ファンが多数いたことや、ネット上で英語の脚本が流通し、字幕と詳細に比較することが可能だったことが原因でしょう。私は戸惑いました。指摘された誤訳はとても些細なものに思えたからです。原作ファンがなぜそんなに激しく非難しているのか全く分かりませんでした。
そこで忙しい仕事の合間を縫ってTo1kien の原作を読み始めたのです。私は震えました。ひとつにはこの小説の深さ、緻密さ、魅力的な人物、壮大なスケールに圧倒されたことがあります。そしてもう一つの原因、それは自分がこの偉大な作品と、その作品への愛にあふれた映画を、無知な字幕によって無惨に切り刻んでしまったことへの自責の念でした。そして瀬田貞ニさんによる日本語訳を読んだとき、私は完全に打ちひしがれました。そこには美しい日本語がありました。私はそれまでの自分の仕事を「翻訳」と呼ぶことさえ恥ずかしくなったほどです。そして、原作ファンがなぜあそこまで私の字幕を非難していたか、ようやく理解しました。
それからの私は仕事に対して謙虚になりました。引き受ける本数を減らし、脚本や、原作がある場合は原作について緻密なリサーチを行い、満足のいくまで時間をかけて字幕を作るようにしました。幸いインターネットにはあらゆる情報があふれ、ちょっとした疑問ならばすぐに検索して情報を得られることに気が付きました。いままでやっていなかったのは何と馬鹿だったんだろう、とも思いました。
あの映画に出会っていなければ、いまごろ私は業界の鼻ツマミババアとしてけむたがられるだけの人間になっていたでしょう。今ではあのとき非難して下さった方々にはとても感謝しています。