ハーラン・エリスン『Slippage』 ISBN:0395924820 【アマゾン】

読み始め。
☆前書き
相変わらずテンション高い。要約すれば、「俺様は死ぬ思いで書いてんだからオメーらも死ぬ気で読めやゴルァ!」て感じ? LA地震の様子を描写するのに子連れ狼とか引合いに出してて笑える。ベスター「コンピュータ・コネクション」の前書きではブリトニー・スピアーズポケモンがどうの、と書いてたし。
冒頭、エリスン関係のURLがリストアップしてあるけど、その下に注意書きで、「作者はコンピュータもモデムも持ってないし、手動タイプライターしか使わない。作者は近年の E-ゴミクズの氾濫を "THE TWILIGHT OF THE WORD" (フォントはトワイライトゾーンのタイトル風)と見なしている」とか書いてあって痛快。ネットに出没したらしたで面白そうだけど。
ハーラン・エリスンFAQ。「エリスンが◯◯を殴った、ってのは本当ですか?」とか、「エリスンの敵」の会とか。クリストファー・プリーストが「敵の会」会員で、ロビン・ウィリアムズが「友の会」の会員らしい。
☆ The Man Who Rowed Christopher Columbus Ashore
「世界の中心で…」風な感じ。熱い。
☆Midnight in the Sunken Cathedral
まだ途中だけど、いやー、パフォーマンスもさることながら、やっぱエリスン文章うまいな。スタージョン並に濃い文だ。読んでて電車乗り過ごしてしまった。作者自身の朗読もあるんで楽しみ。


グレッグ・イーガン『Quarantine(宇宙消失)』

ISBN:0061054232 【アマゾン】ISBN:4488711014 【アマゾン】原書読み終る。どこまで本当でどこからが論理の飛躍なのか、ちゃんと整理するのはかなり骨のある哲学パズルだなぁ。以下モロにネタバレなんで透明化。まだ走り書き程度なんで後で修正するかも。量子ネタ以外についてはいつかまた。

作中の設定:


MODによって観測者も重ね合わせ状態になれる。他の観測者が収縮させて初めて収縮する。記憶には実現した状態のみが残る。実現しなかった意識の世界線はそこで途切れる。


通常は収縮がどこで起こったのかは分からない。さらに観測者の重ね合わせも許してしまうと、収縮が起こったのかどうかも分からなくなる。我々は経験的事実として観測結果は常に収縮していることを知っている。これに矛盾しないためにはどこかで収縮が起こっていると考えるか、収縮は起こらずに観測者も重ね合わせ状態になる(多世界解釈)であるかのどちらかになる。後者の場合でもそれぞれの状態の観測者は一つの観測結果しか認識できないから、観測者からすれば前者と区別はできない。ただし作中の MODによって固有状態を操作できた場合は収縮してない証明はできる。原理的に可能かどうかは分からないけど。一度マクロなスケールにまで大きくなってしまった現象を(二つに分けた電子ビームをもう一度重ねるように)マクロなレベルに全く痕跡を残さず(つまり他人が見てたらダメ)再び量子二準位系に脳の中で帰着させる、なんてことができて、そこで量子状態を操作できるならば(SG実験ならばY方向に磁場をかけてX+状態をZ+状態に90度回転させるとか)始めの観測者はまだ収縮してないことが分かる(前述のSG実験なら、スタートがX+状態で、第一の観測者によって既にZ±状態に収縮してたら、Y方向に磁場をかけて90度回転するとX±状態になってもう一度観測するとZ±は半分づつ出て来るけど、収縮してなければX+のままなので回転するとZ+が100%出て来る。Po-Kwai が結果を見た時はまだ収縮してなくて、脳の中で状態空間の回転をして、声に出した時は既に収縮が起こっていると考えられる)。こういった量子状態の操作(状態空間内での回転)は通常マクロなスケールの現象ではできない。スピンを回転させるのは可能だけど、|猫死>と|猫生>状態を変換するような物理現象は存在しない。また|猫死>+|猫生>とか|猫死>+i|猫生>といった状態が固有状態になるような物理量の演算子も存在しない。こうなると量子状態を操作して重ね合わせ状態にあることを証明することは出来ないから、収縮したかどうかは普通は分からない。だからこのスケールまでくると実験結果に収縮したのか、今見ているのは複数に分岐した世界線の一つであるか、区別はつかない(しなくてもいい、あるいは区別は無意味)。通常は現象が人間の意識までからむまで大きくなったら、既に収縮していると考えるか、あるいは世界線が既に分岐して他の世界線とは永遠に相互作用しないかのどちらかで、意識はこの二つを区別できない。作中では現象が意識のレベルまできても収縮をON/OFFできるという設定で、しかも状態空間の回転も可能という設定になっている。回転が可能というのは例えば

|猫生><猫死| (+h.c.)
のような演算子が作れることを意味してるから、これは死んだ猫を生き返らせることが可能(or vice versa)であることを意味している。観測して|猫死>に収縮してても回転して|猫生>に出来るんだから、観測問題とか関係なく何でもできる。こういう「回転」をあらゆる現象について作れる、ということはすなわち「何でもアリ」ということになる。本当は多世界だろうが確率解釈だろうが、物理法則はシュレディンガー方程式しかないんだから、重ね合わせ状態の人間が集団で特別なことを出来る、ということはない。そもそも多世界に分岐した後で集団で何かするには他の状態と作用する必要があるけど、これは前述のような演算子を実現する物理過程が必要になる。で、もしこれが可能ならそれは魔法と同じで何でも出来てしまう。
収縮のON/OFFを考えると、これは確率解釈と多世界解釈がゴチャマゼになって、多世界に分岐した後で収縮して、ある意識を持った世界線が切れる、ということも起こる(確率解釈では現象が人間の意識のレベルまでマクロになったら既に収縮しているので認識する現実はただ一つだし、多世界解釈だと人間の意識のレベルまでマクロになると現象は量子効果とは無縁になって他の状態の意識とは永遠に無関係になる。この場合も現実はただ一つ、というかそれぞれの意識に一つずつの現実)。しかし選択された世界線にいる意識は収縮が起こったかどうかは分からない(というか起こさなくても良い)。あるいは収縮が起こって意識が認識した現象が「現実になる」までは意識はそれを認識できない、という設定なのかもしれない。作中で地の文が過去形でなく現在形で書かれているのは、収縮して意識が認識した事象を retrospective に書くのでなく、収縮の起こる前の事象を超越的な視点で描いていることを強調するためと思われる。しかしこのへんの意識と収縮の問題は主人公も作中では分からないと言っている。収縮しない宇宙に行ったら意識は現実を認識できるのか?最後の方で実際収縮しない宇宙に転移してるけど、その時の様子は普通に描写されている。しかしこれも後で収縮したために認識可能になった、ということかもしれないし、収縮しなくても認識可能であるかもしれない、ということでどちらか分からない。

結局本作品でキーになってる仮定は、
  • 収縮の ON/OFF を作為的に切替えられる→確率解釈と多世界解釈の中間の、妙な現象が起こる世界が可能になる

  • |猫生><猫死|のような演算子(回転)が作れる→なんでもアリ

  • の二つ。これが可能としてしまうと理論的な帰結としていろいろ妙なことが起こる。逆に言えば全ての妙な話はこの二つの仮定あるいは MOD に帰着する。
    二番目の能力を、ゼラズニイのアンバーシリーズにおける平行世界の間を自由に移動できる能力の変種と考えて、パラレルワールド物のバリエーションとして読んだ方が楽しめるかも。その場合常に多くの世界が消滅していたり世界線が分岐したりという、かなり凄い設定になる。