「回転物理学」虎の巻

本作の舞台は、我々の宇宙とは時空の性質が少しだけ違う宇宙です。「少しだけ」というのは数式の上での話で、その物理的帰結は非常にドラスティックな違いとなって現れます。我々の宇宙では、時空間にいる人が時間と空間を少しだけ移動した場合に、主観的な時間経過は

となりますが、作中の宇宙では 

となります。時間と空間が完全に等価な世界になるので、光速を超えた移動やタイムトラベルが可能となってしまうのが一番大きな点。また光合成や星の光など生活に密着した様々な現象もこちらの宇宙とはかなり違ってきます。これらは全て式の符号を一つ変えたことから計算で導かれることです。 さらに、本作の宇宙の面白い所は、相対性理論がすべて図で説明できてしまう点です。時間と空間が等価な世界では、ウラシマ効果などの元になる変換が単なる回転で表せてしまいます。実際この世界の相対性理論に相当するものは作中で「回転物理学」と呼ばれていて、念じることでお腹に自由に絵を描けるという便利な設定のおかげで適切な図を使って解説されています。回転物理学では、我々が相対性理論について「そういうものだ」と納得している色々な帰結が、そのまま起こったり全く違った結果になったりします。そうした現象を考えることで、逆に相対性理論についてもより深く理解することができると思います。以下ではそのような例をいくつか示します。なお、簡単のため光速c=1と仮定し、式から省略しています。相対性理論の式と比べる場合は、速度vをv/cで置き換えて比較して下さい。

ウラシマ効果

本書や相対性理論の入門書には図1のような、横軸に空間、縦軸に時間を当てたグラフが出てきます。じっとしている人は位置が変化しないけれど、時間は万人にとっては進んでいるので、グラフではまっすぐ上を向いた線になります。一方、ある速さで動いている人は、時間とともに位置が変化していくので、傾いた線になります。速さvで動いていると、時間1の間に距離vだけ動くことになります。回転物理学では、動いている人にとっての時間軸と空間軸は、単純にもとの座標軸を回転させたものになります(一方、相対性理論では動いている人の空間軸は回転物理学と反対の方向にずれ、計算が複雑になります)。この図で、止まっている人の時間基準で一秒が経過すると、動いている人にとってはすでに\sqrt{1+v^2}秒の時間が経過したことになります。これは相対性理論の「ウラシマ効果」の式、\sqrt{1-v^2}の符号が逆になったものです。

図1 回転物理学における時空間の回転

ローレンツ収縮

幅aの物体があるとします。これは図2の中では幅aのリボンとして表されます。これを斜めに置いた場合、真横に切った断面の長さはaより長くなります。速さvで動いている場合、これは\sqrt{1+v^2}倍になります。つまり、動いている物体を止まっている人が見ると、動いている方向に伸びたように見えます。極端な場合、真横に向かって無限の速度で動いている物体があると、無限の長さの物体が一瞬現れてすぐ消えるように見えます。なお、我々の世界の相対性理論では速度vで動いている物体は進行方向に\sqrt{1-v^2}倍に縮みます。

図2 運動する物体が進行方向に伸びる様子

質量の変化

物体が衝突する時には、その前後で運動量が変化しません。高校の物理では、物体の質量×速度の合計が衝突の前後で変化しない、と習います。この条件は衝突によって物体の速さがどう変化するかを計算するのに非常に役に立つ情報となります。図3でいうと、矢印の長さが速度に相当し、たとえば二つの物体の質量が同じ場合、この矢印を足したものが衝突の前後で変わらない、というのが運動量保存の条件となります。しかし、この図を回転させたらどうなるでしょうか。極端な話、横に90度回転させた後で横方向に矢印を書いて比較したら、衝突前後で同じではなくなります。ある人から見て運動量が保存するけれど、別の人から見たら保存しない、というのでは物理の法則として全く役に立ちません。これは運動量の定義の方法がまずかったからです。

図3 古典物理学の運動量保存則

では、一秒の間にどれだけ物体が移動したか、というような人によって見えかたの違う「速度」ではなく、時空の図の中でその物体の来歴が向いている方向そのものを「運動量のようなもの」として使ってみたらどうなるでしょうか。図4のように来歴と同じ方向を向いた矢印を考えます。長さについては、物体の質量mに等しくなるようにすれば、その物体の時空の中での「勢い」を表してくれると期待できます。これならば、二つの矢印を足したものが衝突の前後で変化するかどうか、というのは図をどのように回転させて見ても万人が同じ結論を出す事ができます。 

図4 回転物理学の運動量保存則

ではこの矢印が数式でどう書き表されるかを考えて見ます。速度vの物体は時間が1進む間に距離v移動するような向きに進みます。この向きで長さがmのベクトルというのは(空間,時間)の順にその成分を書くと、(mv/\sqrt{1+v^2}, m/\sqrt{1+v^2})となります。実はこれ、相対性理論において四元運動量と呼ばれているものに相当します。空間成分mv/\sqrt{1+v^2}は物体が光速に近い場合でも使えるように拡張された運動量になります。ここで運動量は質量と速度の積、という定義を思い出して質量を計算すると、m/\sqrt{1+v^2}になることが分かります。止まっている人から見て、動いている物体の質量は速度が速くなる程どんどん軽くなることを示しています。これが我々の宇宙ではm/\sqrt{1-v^2}となり、光速に近づく程質量が無限まで大きくなりそれ以上加速できないことになります。

では作中の宇宙ではなぜ、質量が軽くなるように見えるのでしょうか。質量の別の定義として、物体の速度をちょっと増やすのがどのくらい大変かを表す尺度、というものもあります。たとえばいま速度が一億で、来歴が時空の図でほぼ真横に近い方向を向いているとします。ここから加速して速度が二億になったとします。速度はすごく増えますが、図に描くとどちらもほぼ真横であり、あまり違わないため、ちょっと押すだけで二億に速度を増やすことができます。そうなると質量は「ちょっと押す大変さ÷一億」になり、ほとんど0です。これが質量が軽く見える原因です。ちなみに物体と同じ速度で移動している人から見ると質量はmのままです。

この、時空の図の中での矢印について、長さ=質量、横幅=運動量、縦幅=エネルギー、というのは第二巻では読者が分かっているものとして話が進みますので、頭に叩き込みましょう。

E=mc2

四元運動量の時間成分m/\sqrt{1+v^2}はエネルギーに対応していて、作中では「真のエネルギー」と呼ばれています。図5のように、質量mの物体が二つ左右からぶつかって合体する場合を考えます。二つの物体は反発して接近させるにはエネルギーが必要だけれど、十分に接近したら反発しなくなる、とします。合体の前後で矢印の合計が変化しないという条件から、合体後の矢印は長さ=質量が2m/\sqrt{1+v^2}で、単純な合計である2mより少なくなっています。また、合体前に二つの物体が持っていた運動エネルギーは接近するための位置エネルギーに変換されています。このように、物体の持っている位置エネルギーが増減すると質量も変化します。有名なE=mc^2の式です。ただし回転物理学においては位置エネルギーが増えると質量が減るため、E=-mc^2となります。

図5 衝突によって矢印の長さ=質量が変化する場合

図6は、物体が光を出す過程を示しています。回転物理学では、速度が増すと「真のエネルギー」m/\sqrt{1+v^2}が減少するため、その差分を光のエネルギーとして放出できます。このとき物体の持つベクトルの長さ=質量が変化しないなら、ひたすら同じことを繰り返してどんどん光を出し、どんどん加速することができます。つまり、ちょっとした拍子に核反応のような激しいエネルギー放出が起こってしまう可能性があります。ただし、量子力学を考えると光には分割できない最小の単位があり、図の光の矢印がちょうど光の粒子の四元運動量に等しいときだけそのような反応が可能になります。このあたりは第二巻以降で明らかになっていくでしょう。

図6 物体が光を生成して加速する場合

いかがでしょうか。相対性理論の色々な難解な帰結が、「なんだそんな単純な話だったのか」と腑に落ちるのではないでしょうか。我々の宇宙の大学でも相対性理論を教える前に回転物理学を教えたらいいのではないかと、わりと本気で思っています。