東京ドームの蘭展に付き合いで行く。見物しながら指輪物語のイシリエンあたりを歩いてるのを一人で想像してたら、ドーム内でやってた着物ショーでエンヤの "May it be" が流れたり。それはさておき、蘭の花って左右対称だけど上下は対称じゃない。でも中にはほとんど四回対称な花とかもあった。ここでふと考える。進化の道筋としては、どっちが祖先なんだろうか。それに、他の花は三回対称、五回対称とかもいろいろある。それらは系統樹の上ではどういう関係になってるんだろう。物理的な対称性の定義でいくとそれらの中間的な状態というのはありえない。結晶などで圧力を加えて対称性が変わる場合は、中間状態がないので、ある点で一気に不連続に構造が変わる。生物はどうなんだろうか。手始めにネットでちょっと調べてみる。すると、ヒトデは幼生の時は左右対称で、大きくなると五回対称になることが分かった。ってことはヒトデの五回対称は物理でいうところの対称性とは違う、「なんちゃって五回対称」なのだな。これなら中間状態もありうる。分化の過程で、対称になるようにするフィードバック、つまり他の腕に比べて短い腕を伸ばそうとするような過程がどの程度強いか、ということで「対称じゃない」「かなり対称」「ほとんど対称」といろんな程度のができうる。てことは、そういうフィードバックができる前の、対称性が低い方が祖先、ってことでいいのかな。しかし対称になるメリットってなんなんだろう。うーん、もしかしてミニマックスかなぁ。腕一本食われたときの最悪の場合の被害が最小になるのは対称な時だから。あ、ケーキの切り方の話を思い出した。工学部の人はケーキを五等分する場合、72度を計って切る。法学部の人の場合は切った人が最後にどのケーキを取るか選ぶ。ちょっとでも偏りがあると最後に小さいケーキが残るので、なるべく等分にしたほうが良い。
関係ないけど、「古き者」とかは、わりと普通な空間認識の枠組をもってる、ってことになるかも。子供のころは左右対称だとすればの話。遺伝子レベルで五回対称だったら別だけど。鏡に映った時計がどう見えるか聞いてみたい。