時雨、天津風、矢矧の艦長

JAPANESE DESTROYR CAPT

JAPANESE DESTROYR CAPT

日本海軍の象徴であった「大和」と共に、軽巡「矢矧」に座乗し当時沈まずに残っていた駆逐艦をかき集めた護衛艦隊を指揮し沖縄へ突撃、波間に浮かびながら大和が海中に没するのを目撃した原為一氏の手記。
英訳されるにあたってインタビューを元にいろいろ加筆されているらしい。読んでいて、この艦長の人間性に強く惹かれた。
体罰が黙認されていた海軍でそれを嫌い、自分の艦では体罰を禁止したり、すぐに玉砕したがる当時の風潮と正反対に自分と部下の命をなんとしてでも守るという意志を貫いたり。
また訓練で魚雷がなかなか命中しないのを解決するため数年に渡って数学などを駆使して新しい機動を個人的に開発して上層部に直訴し、このドクトリンが採用されたり。
また私生活もなかなかで、江田島受験の前夜に旅館で女中さんに誘惑されたり、士官になってからは芸者と恋仲になって問題になったり、そうかと思えば見かねた親類が良家のお嬢さんとの縁談を持ってきて良い夫、良い父になり寄港の度に家族との時間を大事にしたり。
ラバウル空襲の際には空襲を予期しいつでも出航できるように待機していて、飛来した爆撃機に予期せぬ対空砲火を浴びせたり。また反跳爆撃を仕掛けてきたB-25に対しボイラーを全開で炊いて向かっていき、これが火が出ていたように見えたため敵が満足して引き返して行ったり。
海戦への参加は主にソロモン。当時の水雷戦の貴重な一次証言が満載。
また水雷屋として、山本五十六に対して非常に批判的であるのに対し南雲忠一に対しては非常に肯定的である点も面白い。
一番の慧眼は「日本海軍が何かで負ける時は、だいたい成功した作戦をそのまま繰り返してやられている」という点を指摘していること。多分に後知恵の部分もあるだろうけど、非常に本質的な指摘。
ソロモンで日本が勝利した海戦については、よく"The enemy simply outblundered us."と書いてある。しかし米軍は失敗から学ぶことに力を注いだ。その辺りが日本と対照的。