烈風、紫電改、流星

以前これらの機体を赤城に搭載したら、という記事を書きましたが、歴史IFとしてもかなり厳しい話ではあります。
ゼロ戦を継ぐ主力艦上戦闘機として設計された烈風ですが、初飛行の頃には空母もほとんど沈められてしまい翼の折り畳み機構を廃止されてしまいます。搭載する誉エンジンが生産・整備が非常に難しくカタログスペックを出せないため三菱がブーブー言って色々切羽詰まってた感じです。赤城が沈まず、折り畳み可能だったとしても赤城の格納庫は窮屈なので翔鶴や大鳳に優先的に搭載したかもしれません。
紫電改はもともと艦上搭載の予定は無く、水上機しか経験のなかった川西が誉エンジンを使って現実的に工夫を重ねて開発に成功したもの。折り畳み機構はないので赤城の前部格納庫には入りません。しかし烈風よりは現実性があるので、どうせ日本近海だけで行動するなら露天駐機でなんとかしたかもしれません。

あと問題はベテラン搭乗員の不足。ミッドウェイでは飛龍以外はそれほどパイロットの損失はなかったけど、その後のガダルカナル方面の消耗戦でかなり減ってしまいます。この頃日米ともに空母を多く失った後で空母同士の戦闘はなし。
以下の図は棒の太さが各空母の搭載機数を表します。とりあえず1943中ごろまでは互角。ここで搭乗員を大事にして新鋭機に乗せて空母で戦えば、という話になりますが・・・

問題はその後。100機搭載のエセックス級が続々と就航。パイロットの数も桁違い。
日本のまともな航空作戦で大破したのが一隻のみ。あとはKAMIKAZEで中破程度がいくつか。
日本の空母が全く沈まず新鋭機とベテラン搭乗員を揃えたとしても、これじゃ無理。