普通


SFが読みたい!〈2006年版〉』ISBN:4152087064 用の原稿から一部引用します

ディアスポラのあらすじには「30世紀、人類のほとんどは肉体を捨て、人格や記憶をソフトウェア化して、ポリスと呼ばれるコンピュータ内の仮想現実都市で暮らしていた。」とあります。イーガンの長編や短編には、このように人格をソフトウェアにコピーするというネタを扱ったものが多いのですが、それら諸作品において人格コピーは出来て当然の事として描かれ、その結果生じるアイデンティティの問題(自分はコピーかオリジナルか?とか)が作品のメインテーマになっています。しかしその具体的な仕組みとなると、それ自体で『デカルトの密室』級の長編のテーマになるほどの大問題なので、うかつには扱えないネタです。その大ネタにイーガンはディアスポラの第一章「孤児発生」で正面から取り組んでいます。そのへんの話が見えずに読んでいると、冒頭からかなり意味不明な描写の連続で困惑してしまうわけですが、長編一冊書けるテーマを一章でやってしまおうとしてるわけで、高密度でぶっ飛ばした描写になるのは当然かもしれません。
さてその一章、人格をコピーするのでなく、0から作り上げているところがイーガンの他の作品と一番違う所でしょう。人間がみんなソフトウェアになってしまえば不老不死になるわけですが、新しい人間が生まれず、知ってる人間ばかりと一緒に永遠に生き続ける、ってのはちょっとイヤそうな世界です。それを防ぐには新しい人格を「発生」させるしかありません。

単純なルールで複雑なものを作る

この章では、バーチャル世界で子供が生まれる過程が描かれます。ただしバーチャル世界なんで肉体いりません。精神だけ作ればいいです。とはいえ、精神は言うまでもなく複雑きわまりない代物です。これを「作る」場合、どうすればいいでしょうか。
ここで二つのゲーム、「ファイナルファンタジー」(FF)と「不思議のダンジョン」を考えてみます。FFの場合、よく「あらかじめ定められたシナリオを見せられている」と批判されたりします。ストーリーは既に決められており、「そうなるように作ってある」という感じです。一方、「不思議のダンジョン」系のゲームにはシナリオらしいシナリオはなく、ダンジョンなどがランダムに生成されるので、毎回違ったプレイをすることになります。しかし運悪く激ムズな配置になったりした場合はとんでもなく糞なゲームになったりする危険もあります。
FFのように「そうなるように作」れば、望んだシナリオを再現できますがバリエーションはなくなります。逆に単純なルールで自然に複雑なゲームが出てくるようにすれば無限のバリエーションが可能ですが、そういうルールはなかなか見つけるのが難しいし、超糞なバリエーションが出てくる危険もあります。
物理や数学やコンピュータ科学の分野では「単純なルールで複雑なものが出てくる」面白いモデルがいくつかすでに発見されています。その代表が「セル・オートマトン」とか「ニューラル・ネットワーク」などです。この章ではこの二つを使って精神を作っています。

要点

ライフゲーム」のようなセル・オートマトンを使い、受精卵が細砲分裂していって段々と生物の形になっていく(発生、分化)過程がコンピュータ上で模擬されています。
生物の場合、はじめは細胞が倍々に分裂していって、細胞の設計図が書いてあるDNAがコピーされて増えて行きます。細胞の数が十分増えると、今度は微妙な化学的条件の違いによって細胞ごとにDNAの異なる部分が読み取られ、異なる蛋白質が生成されることによって肉や神経など様々な種類の細胞が作られ生物の体を作って行きます。

DNA の場合、そこに書かれているのは蛋白質の設計図です。蛋白質アミノ酸が沢山一列に繋がったもので、どのアミノ酸がどういう順番で繋がるかによって様々な蛋白質が出来ます。DNA はTACGの四種類の塩基を使ってこのアミノ酸の順番を記憶しています。具体的には連続した三つの塩基が一組になって20種類のアミノ酸のどれかを表し、これがたくさん並んで蛋白質の設計図を作っています。

DNA       TAG TCC GAT CGG TAG CGG GTG TAG GAT GAT GTG 
 ↓
アミノ酸   ●  ◯  □  ■  ●  ■  ◎  ●  □  □  ◎
 ↓
タンパク質 ●◯□■●■◎●□□◎

DNA の場合、そこに書かれているのは「データ」ですが、ポリスの精神種子 は6ビットの機械語で書かれたプログラムになっています。蛋白質の場合は数十から数千のアミノ酸からなっていて、各蛋白質が記録されているDNAのブロックを「遺伝子」と呼びます(厳密な定義は違うかも)。精神種子の場合、数十の命令がまとまって小さいプログラムを形成し、これがシェイパーと呼ばれる単位となっています。

<創出>内部では三次元の各場所にシェイパーがばらまかれ、それぞれの場所で同時にこのプログラムを実行していって複雑なパターンを三次元空間に出現させます。
こうやって出来たパターンは脳神経回路(っぽいもの)になるようです。入力された刺激が一定の強さ以上になると「発火」して自らも刺激の信号を出す「ニューロン」が、シナプスという線で連結された、いわゆるニューラルネットワークというやつです。外部からの刺激に応じてシナプスによるニューロンの間のつながり方が強化されたり切れたりして、特定の入力信号(ライオンの視覚イメージとか)に選択的に反応する回路が形成されていきます。

パターンができる様子

波1回 波4回 波16回

こんな感じでしょうか。なんとなく神経網っぽく見えるかも。

最後の一文

原文を想像してみましょう。ヒント:有名な文に似てる。

「みなさん!」

原文は "People!"。見たものをそのまま言葉にしている、という解釈も可能かも。